城端別院 善徳寺
城端別院善徳寺は、真宗大谷派の大刹で、山号を廓龍山と号します。 本願寺第八代蓮如上人が、文明二年(1471)に、越前吉崎から、加賀の国を経て、越中井波瑞泉寺(本願寺五代綽如上人開基)へ巡錫された折に、国境の河北郡井家の庄・砂子坂(現・金沢市砂子坂)に、曾祖父にあたる綽如上人の第三子、周覚法印が布教されていた旧地があり、そこにお立ち寄りになって、この地は仏法有縁の土地柄であるから、仏法道場を建立するようにと諭され、周覚法印の孫、蓮真僧都に附属されました。 蓮真は、第二子実円(玄広)に附属させ善徳寺の寺号が免許されます。 実円は、文亀二年(1502)の頃、砂子坂から、越中石黒の庄・山本村に寺を移し、その後、越中・加賀・能登三ヶ国の本願寺総禄として真宗寺院を統括し、第四代円勝の永禄二年(1559)には篤信の城ヶ鼻城主荒木大膳の招請によって城ヶ鼻(城端)に移り、城郭に寺域を定め、徳川三百年の間、加賀藩前田氏のもと、越中の触頭役(頭寺)を勤め隆盛を来し、今日に至っています。